今日は社内、社外で大活躍をされている森田先生にインタビューをしていきたいと思います!よろしくお願いします
よろしくお願いします。
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森田大樹
2013年入社 柔道整復師
川口院 院長
日本レスリング協会 医科学委員
東京都大島出身
東京メディカル・スポーツ専門学校卒業
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あみはりきゅう整骨院に入社してから今まで
さっそくですが、森田先生は今入社は何年目ですか??
7年目ですかね?2013年の4月に入社をしました!!
7年目!お若いのに院長をされてるなんてすごいですね〜。
あみの場合は、20代の院長もいますが、幅広い年代の院長がいますよ〜
そうなんですね。森田先生はいつ院長になられたんですか??
僕の場合は4年目で院長になりました。比較的早かったのではないかと思います!!
院長になるためにはどんな流れになるんですか?
アミにはステップ制度というものがあって、ステップが6になると院長候補になれるんですよね。
各ステップに試験がありそれに合格すると、できる仕事もお給料も増えていくといった感じです。
僕の場合は、1年目でステップ4まで上がって2年目の5月にはステップ5になりました。
すごい速さで上がっていきますね!
でも実はそこから苦労してステップ6合格までに1年半かかりました。
なんで受からないのかなーとか考えていたんですが、今考えると成長できた1年半だったのではないかなと思います。
成長できたというと??
ステップ6の試験の内容は、課題図書が出されたり、
日々の仕事のことや管理に関して代表やエリア長と面談をして深めていく内容になっていました。
院長になってから活躍できるように自分の足りない部分を補っていくことができる内容になっているんですよね。
肩書きを得るということは簡単ですが、何にもできないのに院長になったら苦しむのは自分ですもんね。
スッテプ制度を通じて成長して、院長としての土台を作ることができたということですね。
そうですね。
会社の仕組みとしてステップ制度がありますが、考えて受けることによって成長も変わってくるんじゃないかなと思います。
ただ給料をあげたいからーといって言われたまま受けてもそれだけではあまり意味がないような気もしますよね。
先を見据えて行動をしていたということですね。
そうですね。
入社した時から開業をすることも考えていたので、まずは院長になることが目標でした。
院長としての土台ができ院長候補にはなりましたが、その後すぐに院長にはなられたんですか??
はい。その年の夏に院長になりました。
当時は神田の院に在籍をしていてそのまま神田で院長になると思っていたのですが、僕の場合はタイミングがとても良く、新院の立ち上げの話があってすぐに声をかけていただき院長になりました。
新院の立ち上げに抜擢されたということですね。
どこの院長になられたんですか??
現在の高田馬場の院、おれんじ鍼灸整骨院の院長になりました。
まあでも院長にはなったのですが、当時はスタッフもいなくて2ヶ月間はエリア長と2人で院を運営していました!
え?!そうなんですか??
新院なのですが、実は居抜きの案件だったので普通の新院とはちょっと違ったんですよね。
初めての院長で特殊な院をやろうと思いましたね。
今後を考えたときにそういう案件も増えていくんじゃないかな・・・と、この経験は力になるはず!!と思って声をかけていただいてすぐに「やります!!」って言いました。
度胸ありますね。
今考えるとすごいですよね。
そのあと少ししてエリア長が抜けてスタッフをもらって2人で運営をしていきました。
新院で初の院長ということもあり、試行錯誤しながら院の運営を行っていました。
それは大変でしたね。
最初はとても大変でしたね。
わからないことだらけで・・・。
でもスタッフの協力もあり色々とチャレンジをしながら運営をしていくことができました。
院長になってまた違ったことが考えられるようになり色々勉強になり成長できたんじゃないかなと思います。
1年半経って、高田馬場の院も軌道に乗ってきて患者さんも多く来院してくれるようになったのですが、そのタイミングで異動になりました。
どちらに異動されたんですか?
現在の川口の院の院長になりました。ここからさらにーってタイミングだったのでちょっとびっくりしましたが。
小さい院から大きい院に異動になったんですね。
そうですね。スタッフも4名と増えたので、管理の仕方も全然違うので新たな刺激をもらっています。
様々な規模の院があるということはグループ院のいいところでもありますね。
社外活動について
入社前からトレーナー活動に興味があったということですか??
スポーツに関わる仕事に就きたいと考えていて、トレーナーの専門学校に行こうと思っていたんです。
でも親に相談をしたときに
「トレーナーは飯が食えないから考えた方がいいんじゃない?」
って言われたんです。
飯が食えない?稼げないってことですか?
実際トレーナーの仕事だけで稼げてる人はごく一部だと思います。
そんなことを言われて将来を考えているときに、たまたま母が勤めている病院に柔道整復師の方がこられて、話をさせていただけたんです。
その方は、柔道整復師として接骨院で働きながら、トレーナー活動や救護活動などを行ってスポーツに関わっているという話を聞いて柔道整復師の学校に行くことを決めました。
いい出会いがあったんですね。
学生生活はどうでしたか??
学校の授業と並行して、学校のトレーナー部に所属をしてラグビーや柔道などのスポーツの現場に出させてもらっていました。
学生時代から活動をやっていたということですね。
先生や先輩のもと応急救護やトレーニング、テーピングなどなどいろいろな活動をしていました。
すごいですね。やはり就職活動でも「トレーナー」がキーワードになりましたか?
そうですね。
就職活動の時もトレーナー活動ができるところに就職をしたいと考えていました。
やはりある程度の規模がないとトレーナー活動までできないんじゃないかと思っていたので、グループ院を中心に就職活動をしていました。
そんな中で「あみはりきゅう整骨院グループ」を選んだということですね。
色々なグループ院を見学させてもらったのですが、比較的トレーナー活動をやれそうだなと感じて入社を決めました。
そうだったんですね。入社してすぐに普段の業務とトレーナーって大変じゃなかったですか?
入社後まずは目の前の仕事をできるようにならなくてはと考えていたのでステップの受験をしながら日々の仕事で経験を積んでいました!
ではトレーナー活動はいつから始めたんですか?
以前から知り合いだった大学の女子バスケ部で監督をしている方に声をかけていただき始めました。
当時は院での仕事とトレーナーと、結婚もして子供もできて・・・公私ともにとても忙しくて今でも奥さんに当時のことを言われますw
ずっと奥さんに言われるやつですね。
レスリングの日本レスリング協会の医科学スタッフにはどうやってなられたんですか?
城東エリアのエリア長の梶尾先生がレスリングの医科学スタッフをやられていて、推薦をしてもらって医科学スタッフになりました。
すごいですね。どうして推薦されたんですか?
トレーナー活動をやっていたことあったのですが、普段の仕事がポイントだったみたいです。
普段の仕事との両立していたんですね。大変でしたよね
もちろん大変だったのですが、普段の業務を疎かにしては本末転倒だと思っていたので・・・。
それに、トレーナー業務はスタッフやエリア長の協力があって初めてできることだと思っています。
そうなんですね。。。確かにそうですよね。
去年は初めて海外遠征でカザフスタンに行くことができました。院長なのに院を空けることになったのですが本当に助かりました。
普段の仕事と信頼関係がないとできないことですね。
だからこそ普段の仕事が大切なんだと思ってます。みんなにはとても感謝をしています。
今後に関してやりたいことやなりたいことはありますか??
僕が入社した当時は、トレーナー活動は各先生がトレーナー活動を持っているっといった感じでした。
現在では会社としてもトレーナーとしての仕事も増えてきていて、来年には部局としてトレーナー部ができるようなので今後はもっとトレーナー活動を広げられてらいいなと思っています。
来年の東京オリンピックにもトレーナーとして関わることができそうなので、今から楽しみです。
森田先生の活躍に注目をしていきたいと思います!!