JOC強化スタッフの梶尾先生に聞く、社会人でやりたいことをやるために必要なことは??(あみはりきゅう整骨院 梶尾安正)

本日はお時間をいただきありがとうございます。
本日は城東エリアのエリア長、JOC強化スタッフとして働く梶尾先生にインタビューをしていきたいと思います。

 
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梶尾 安正
城東エリア エリア長
2003年入社 柔道整復師・鍼灸師
東京都出身
東京柔道整復専門学校早稲田医療専門学校 卒業
日本オリンピック委員会強化スタッフ(レスリング・ウェイトリフティング)
日本レスリング協会医科学委員
日本ウエイトリフティング協会医科学委員
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早速ですが、スタートしていきたいと思います。
梶尾先生の経歴を拝見させていただいてJOCの強化スタッフという点にとても興味を持ったのですが、どうやってなられたのですか??

教員をやっていた時の知人がレスリング協会にいて、協会の医科学スタッフとしていろいろな活動に参加をして、そこから縁がつながって現在はJOCの強化スタッフもやらせてもらうようになりました。
 
教員もやられていたんですね。そもそも接骨院の業界に入ったきっかけはトレーナーだったんですか??
そうだね!高校で野球部に所属をしていたんですが、バイト先のサッカーチームにも所属していたりなど、もともと体動かすことが好きだったのでトレーナーという仕事に興味を持ったんだよね。
 
そうなんですね。アスリートですね。
そう。当時は60キロくらいだったよ。
 
60キロ台?!今からは・・・
おい!!笑
当時からスポーツが好きで、スポーツに関わる仕事をしたいなって考えた時に身体についてもっと勉強したいと思ったんだよね。
それで東京柔道整復師専門学校へ進学することにしたんだ。

 

大学進学は考えなかったのですか??
大学の付属の高校に通っていてそのまま大学へ進学することも考えたんだけど、当時通っていた接骨院の先生にも相談して、専門学校に行こうと決めたんだよね。
 
そうだったんですね。ちなみに当時は柔道整復師の学校ってかなり入りづらかったと聞いたのですが。
当時は学校が少なくて、定員も全国で1,100人くらい。
浪人とかも当たり前だったんだけど、運良く、知り合いの先生に学校を紹介してもらえたんだよね。

 
それはよかったですね。
でも紹介してもらっても落ちる人は普通にいたので、紹介してもらった手前かなり勉強して試験に臨んだよね。
 
それでも1発合格ってすごいですね。入学してからはどうでしたか??
入学してからは今では考えられないかもしれないけど、紹介していただいた先生に弟子入りして下宿する生活がスタートしたんだよね。
 
弟子?!
当時はまだこの業界にも徒弟制度があって、先生の所で修行するんだよね。
先生の家に住まわせてもらって3食出してくれて、お給料というのかお小遣いをいただいて・・・。

 
そうだったんですねお小遣いはちなみに・・・??
初めての給料は2万だったよ笑
 
2万?!
三食ついて家に住まわせてもらっていたので。
当時はそれが普通だったこともあって変な風には考えなかったけど、大学行った友人と飲みにいくとぜったいみんな奢ってくれたよね。

 
それは確かに奢りますね・・・修行って具体的にどんなことをされるんですか??
朝7時から洗濯掃除雑巾掛け近所の掃き掃除をして、接骨院が9時に始まるんだけど先輩が来るまでに全部終わらせて、接骨院が始まってからは先生の施術を見ていたり、包帯を巻いたり、湿布を作ったり往診の運転手とかなんでもやる感じだったね。
慣れてくると少しづつ患者さんの対応をさせてもらうようになる感じだったね。

 
学校はどんなかんじだったんですか??
学校は夜だから17時まで働いて、急いで学校まで行って、21時に学校が終わるから、急いで下宿先に帰るって流れだったかな。
帰ってからも接骨院に併設してある柔道場で柔道教室とかをやってるから手伝いで柔道やったりしてたかな。

 
ハードな毎日ですね。
夜に柔道してるとスイッチ入っちゃって寝れないのよ。
興奮しちゃって。

 
そりゃそうですよね。闘争本能が滾ってますからね
寝れないなーと思ってたんだけど、寝れないからどうせなら勉強しよって思って。
柔道がある日は夜中勉強するようになったんだよね。
入学したときは真ん中くらいの成績だったんだけど、1年生が終わるころには学年で2位になってたよ。
まあ若かったからできたよね

 
忙しい中、うまく時間使ってたんですね。。
そうそう。どうせならと思って。
勉強してると眠くなるんだけどね。

 
わかります。でもよくそんな毎日持ちましたね。
まあそこは自分がやりたいと思ったことの為だし、いいこともいっぱいあったよ。
 
どんなことですか?
例えば、柔道に通ってる人の中に、寿司屋の人がいて寿司をたらふく食わせてもらったり、そのまま焼肉行ってスーパー銭湯行ったり・・・。
それ以外にも先輩や師匠にも色々と可愛がってもらって、大変だったけど本当人には恵まれて、楽しい毎日だったよ。

 
そうだったんですね。徒弟制度って昔々の話だと思っていて全く想像もできなかったです。
そうだね。この業界も最近まではどこもそんな感じだったかもしれないね。
ここ20年くらいで業界もだいぶ変わって、福利厚生がしっかりしていたり、給料がちゃんとしている会社が多くなってきたよね。

 
そうですね。さすがに2万は・・・あみもそうだったんですか??
あみはだいぶそこらへん早くて2000年くらいから社会保険とか給料とかちゃんとしてたよね。
今の学生もまだまだブラックな会社もあるからそこらへんちゃんと見て就職した方がいいよね。

 
教員らしいアドバイスですね。あみは業界内では先んじてたんですね。
働く人が健康じゃないと患者さんに良い治療は提供できないと思うからね。
 
実体験したからこそ出てくる言葉ですね
あのときは確かに大変だったけど今思うと今の自分に繋がってるよね。
 
そのまま3年間学校に通って弟子の生活をしていたということですか?
そうだね。弟子をしながら学校に行って無事、柔道整復師免許も取れて就職したよ。
 
就職はどうしたんですか??
そのまま先生のところに就職したよ。
 
アミに入社したわけではないんですね。
そうそうアミが出てくるのはあと10年後くらいかな。
免許とって1年くらいその先生のところで働いたよ。

 
転職されたってことですか??
そう。鍼灸に進学したいと考えて、院に迷惑かけることになっちゃうので転職をしたんだよね。本当に色々と勉強させてもらって、申し訳なかったんだけどね。
 
そこからトレーナー関係の転職だったんですか??
いやそこもそんな感じではなかった。普通の接骨院。
 
トレーナーが出てこないですね・・・
トレーナーって今では結構当たり前にあるけど当時はまだそんなメジャーな仕事でもなかったんだよね。
ずーっとやりたいとは思っていたけど・・・
当時は鍼灸に興味湧いて治療の幅も広げられると思って進学を決意したんだよね。

 

そうだったんですね。
鍼灸の学校に通いながら接骨院で働いて、またこの後の話になるんだけど実は21歳くらいからアメフトを始めていて、アメフトもやってたんだよね。
 
アメフト?!また全然関係ないところを
そうなんだよね。全くの未経験だったんだけど友達がやってて誘われて社会人アメフトを千住の土手でやってたんだよね。
 
かなり忙しいですね。
忙しかったよね。
でもここのアメフトでの経験がトレーナーにつながっていくんだよね。

 
やっとトレーナーが・・・
鍼灸の学校を卒業した後、日本のアメフトのトップリーグのXリーグのセレクションを受けて、実業団チームで2年間選手として所属したんだよね。
 
え?!Xリーグってすごいですね!!
レギュラーではなかったんだけど、そこで選手としてやらせてもらったんだよね。
 
すごいですね。
でもさ、そこで俺柔整師で鍼灸師じゃない?だから脱臼の整復したり色々とチームの選手のケアをするようになったのよ。
 
まさかここでトレーナーの仕事が出てくるとは・・・
そこで色々と経験をさせてもらって。
実業団チームには2年間しか在籍してなかったけど、その後も社会人アメフトのチームで同じようなことをしてたんだよね。アメフトって怪我することも多いからいい経験を積ませてもらえたよね。

 
そこまで考えてアメフト始めたんですか?
いや当時はそこまで考えてなかったんだけど、今思うとまさしく柔整師や鍼灸師が活躍できるフィールドだと思うよね。
 
思いがけない出会いですね。
そう。やってたスポーツとは全然違かったし、トレーナーとしてやりたかったスポーツだったわけではないんだけどね。
 
先入観を持たずにチャレンジするって重要ですね。
そうそう。本当にそれは実感してる。
色んなことにチャレンジすることは大切だよね。教員に関しても、アメフトをやりながら柔整の教職課程に通ってたんだよね。
実業団の選手が終わった後は教員になって働き出したんだよね。

 
全て何かしらが同時並行で動いていますね。
確かにそうだね。その後もずーっとなにかしらやってるかもね。
 
アミとの出会いはいつだったんですか??
教員で働いているときにあみの小林代表と一緒に働いていて、それがアミとの出会いだね。
小林代表と一緒に働いていく中で、アミの経営面にとても興味を持ってアミに入社をしたんだよね。

 
アミがやっと出てきましたね。
当時はアミも6院くらいのグループ院で今よりは規模も全然小さかったんだよね。
今も変わらないけど色んなことにチャレンジをしている会社だと思ったんだよね。

 

教員をやりながらアミでエリア長として働いてアメフトやってトレーナーやっていつJOCに?
冒頭にも話したけど当時勤めていた学校の知人がレスリング協会にいて、そこから縁がつながって、レスリング協会の医科学委員になったんだよね。
 
まずはレスリング協会のスタッフになったってことですか??
そうそう。レスリング協会の医科学委員として色々なところに派遣をされて。
その後JOCの強化スタッフの委嘱状をもらってJOCの強化スタッフになることができたんだよね。

※梶尾先生の経歴は最後をご覧ください。

 
あみで働きながらってすごい大変じゃなかったですか?
小林代表が応援してくれたこともあるけど、「お互いを応援しあう」ということがこの会社の文化なので、周りも協力してくれたんだよね。
延期になっちゃったけど来年の東京オリンピックにも会場に入ることが決まっているので、みんなの代表として頑張りたいと思っています!

 
最後にトレーナーに興味を持ってる学生に向けて何かアドバイスはありますか?
私の場合は、
「スポーツに関わる仕事したい」
「トレーナーがやりたい」
と18歳の頃から思っていて、結果としてそういう仕事が出きるようになったのは36歳でした。
長期的なビジョンで自分のキャリアを考え、積極的にいろいろなことに挑戦した方が良いと思います。
競技にこだわるのではなく、どんな競技でも挑戦してみることが大切で、確実に自分の糧になっていきます。
経験に勝るものなしです。
目の前の仕事がどんなふうに将来につながるかは自分の行動次第です。
一緒に頑張りましょう。

 

来年のオリンピックが楽しみですね。以上、梶尾先生でした。

 

【梶尾先生のトレーナー活動実績】
2011年
レスリング アジア・カデット選手権(タイ バンコク)
2012年
レスリング アジアジュニア選手権 (カザフスタン アルマトイ)
レスリンググレコローマンスタイル強化合宿(ロシア ソチ)
2013年
ユニバーシアード レスリング競技トレーナー(ロシア カザン)
東アジア大会 ウエイトリフティング競技 強化合宿
ウエイトリフティング世界選手権 強化合宿
2014年
レアスリング デーブ・シュルツ記念国際大会(アメリカ コロラド州)
世界学生選手権 レスリング (ハンガリー ペーチ)   
レスリング 世界ジュニア選手権 (クロアチア ザグレブ)
2015年
2020ターゲットエイジ育成・強化プロジェクト
「タレント発掘・育成コンソーシアム」海外育成プログラム 
ペトコ・シラコフ&イバン・イリエフ国際大会(ブルガリア ソフィア)
2016年
アジアジュニアレスリング選手権大会 (フィリピン マニラ)
アジアユース・ジュニアウェイトリフティング選手権大会(東京 大田区)
2017年
ヤリギン国際大会 レスリング (ロシア クラスノヤルスク)
世界ジュニアレスリング選手権大会(フィンランド タンペレ)
2018年
アジアジュニアレスリング選手権大会(インド・デリー)
U-15アジアレスリング選手権(イラン・カラジュ)
その他 
レスリング国内合宿多数
レスリング全日本選手権 他多数 大会救護
ウェイトリフティングユース世界選手権大会・ジュニア世界選手権大会(日本)他国内大会救護多数
レスリング タレント発掘・育成コンソーシアム 国内合宿